お侍様 小劇場 extra

     “春颯(はるはやて)、惑い風”〜寵猫抄より
 


        1


 発祥も明治の頃からと由緒正しき、閑静なお屋敷町の一角にあって。その屋敷は殊に、古株なこと物語る威容を堂々とたたえて、町の中ほど、陽あたりのいい大通り沿いに、鎮座ましましていた。今時には残っていること自体が珍しいだろ、瓦屋根と漆喰の壁という いかにもな“蔵”を敷地の中へと抱えた、見栄えも作りも古めかしい拵えの日本家屋は、微妙に普通一般の住居ではなく。さほどには仰々しくもない、だが手入れの行き届いた前庭を入ってゆけば、ちょっとした茶室のような離れがすぐさま現れて。ガラス格子の違い戸を開け放つと、入った客人をそのまま導く、奥行きのある土間がある。小物やちりめん細工がとりどり並ぶ棚や平台を眺めつつ進めば、その先には畳の敷かれた小上がり、框で仕切られた格好のちょっとした座敷になっており。壁に沿った棚には色とりどりの反物が置かれ、屏風のような据え置きの衣紋掛けには、季節の振り袖や小袖がそりゃあ華やかに広げられている。

 「…はい、いつもお世話になっております。」

 昔から今へと至る生業
(なりわい)か、ご当地の高貴な方々にはすっかりとお馴染みの呉服屋で。こちらからのお声をかけずとも、季節の変わり目、節気の祝いなどなどには、向こう様からの引き合いが多いという信頼も厚い店であり。今時には珍しく、反物幾つも抱えての、先様のお宅へご訪問ということもザラで。そろそろ春も間近くて、様々に式典も多いせいだろか、ここ数日は朝から電話が鳴りやまぬ。そもそもは別な場所に店舗を構えていた唯一の名残り。引き戸の上、表への門口の頭上には、草書体の筆になる、その名も『蛍屋』と小粋な屋号が刻まれた、古びた大看板が掲げられ。洋品店のようなショーウィンドウなどはありもせで、陽にさらさぬ絹や錦や、1つ1つを丁寧な手際でさらりと広げ。あでやかな色彩、手の込んだ刺繍や染めの巧みなこと、さりげない蘊蓄に乗せて披露するのは、当家へ昔から代々仕える筋の末裔だという初老の番頭さん。その他と言えば、その姪御でよく気の回る若い娘さんが、ちょっとしたお使いやお世話にと働いているのみで。先代から伝わるものも多数抱えた、名品逸品揃いの在庫の管理や、取引先にお得意様、新規のお客様へのご挨拶等々、小さな構えでもそれなり大変なはずのお店の全てを、一手に担っての舵を取っているのが、雪乃という女主人。

 「あ、女将さん。
  須田様へのお取り寄せの銘白絹三反、今日にも届けて下さるそうです。」
 「あらそう。早かったわね。」

 婉然と微笑うのが様になる、年の頃はもう小娘とは呼べぬ落ち着いた頃合いのはずだけれど。いやいやあのお人は年端のゆかぬ昔っから物静かだったから、案外とびっくりするほどお若いはずだ。そうかねぇ、あのなめらかな身のこなしようや、はんなり見せてて、実は性根の座っておいでなところは、それなりのいい年増…ああいや、昔は熟女のことをそう言ったのだが、もうすっかりとそういう年頃だと思うがねぇと。界隈の皆様へもミステリアスな存在であったりし。仕事一筋という女傑ではなし、さりとて男の噂はまるきり聞かず。小粋な筋からのお人かもと思わせるほど、所作ごとの端々に、瑞々しくも艶冶な趣きたたえる、どこか蠱惑的な、されど芯のしっかりした、奥行きの深い女性には違いない。お店の関係者が二人とそれから、ちょっとした家事を手伝う老女が時々通って来るだけで、古くて広い屋敷に住まうは彼女だけ。家族はない身を、されど寂しがってはおらぬよで、その気立てから交際も広いし、最近になって猫を飼ってもいるらしく。天気のいい日は屋敷を囲う塀の上なぞに、ちょこりと座っていたりする。質のいいビロウドのようなつややかな毛並みは、時に青みを帯びて見えるほど深みのある漆黒で。引き締まった肢体が野生の香を感じさせるが、気性は穏やかであるものか、やんちゃな悪戯などもせず、気品をたたえた姿で、ただただ悠然としているばかり。そうそういつも家内にいる訳ではないらしいが、さりとてどこか他所で見かけることも滅多にはなく。ただ、雪乃が一度、隣り町で散歩をしていた姿を見かけたということで。

 『お友達でも出来たのかしらねぇ、ヒョーゴさん。』

おっとり話しかければ、日頃の愛想なしには珍しく“な〜ん”と一声鳴いたとか。





        ◇◇◇



 晴れたり曇ったり、暖かだったり寒さが戻ったり。間近い春が待ち遠しいからこそ、天候・気候の行ったり来たりがいちいち気になる頃合いでもあり。

 『せめてすっきりと晴れてくれればまだしも。』

 まだ花曇りとも呼べぬ寒々しいばかりな曇天は、何とはなくだが気を重くもさせるからかないませんと。それでもご当人はさばさばしたお顔と所作にて、そろそろ春の花との衣替えか、庭先の小鉢の整理に余念がなかった誰か様だったりもし。働き者のお兄さんの作業、こちらはお廊下から眺めやる、小さな存在がいたりして。

 「…みゅう〜。」

 それでなくとも昼間は人の通りも格段に減るのが住宅街で。いい日和でも人の気配がなくての犬猫の声もないとなると。通りすがりのスクーターの走行音さえ侘しく、閑散とした様子が冬ざれた余韻の方を強く押し出す、そんな弥生の初めの頃。もはや新興とは呼べぬが、かと言って歴史ある風格というのともまだ縁のない、今時にはありふれた住宅街の一角に、ちょいと異質な見栄えのする“洋館”がある。洋館といっても、モダニズムの何たらとかいう高名な建築家の手になるような、教会とか公民館とかいった大層な代物ではない一般家屋だが、たとえば…フローリングが基本かと思や、畳の部屋やら襖が厳然と居残っていたりするし、中庭へと向いた廻り廊下には、これも今時には珍しい建具だろう、木枠の違い引き戸式というガラス窓が連なっていたりもし。風呂場やキッチンにはモザイクタイル、明かり取りの窓には和風のステンドグラスと、思わぬところに文化財クラスの工夫や小技が隠れている。そんな和洋折衷の入り混じりようが何とも古風で味があり。その廻り回廊にちょこりと、前足揃えてのお行儀よく、お座りの姿勢になって外を眺めている小さな毛玉。ところどころに濃い褐色の入り混じる、キャラメル色の毛並みも甘く、腹やら手足は真っ白いその絶妙なバランスが、不思議と幼さを引き立てる。そんな風貌をした小さな小さな仔猫が一匹、置物かぬいぐるみででもあるかのように、あんまり動かずじっとじっと、大人しいまま庭のほうをばかり見やっており。とはいえ そこは幼い身、さすがに待ちくたびれもするものか、時折くうと喉鳴らし、
「にぃあ〜。」
 糸のような細いお声を上げたれば、

 「はいは〜い。もうちょっとだから待ってておくれな。」

 歌うようなご陽気な声が返って来る。プリムラの幾つかがそろそろ盛りを終えており、続いて開花しつつあるのが、お待たせしましたのパンジーたち。お花に詳しいとはいえ、こちらのほうがやはり馴染みも深いのか。広げた蝶の翅を思わせる、深みある紫のが咲くと。他の以上に“おや”と判りやすく眸を留めて下さる御主なものだから。少しでも開きそうな気配がないか、七郎次が日頃以上に気をつけるようになるのもまた今の時期。今日は晴れたが、それでもまだ気温は低いほうなので。うたた寝してたのいいことに、コタツの傍らに居残して来たはずだった仔猫が。誰もいないは寂しいか、お廊下をトコトコやって来てのお声かけ。窓へと手をかけ、かりかりを始めたのでそれへと気づき、ああごめんごめんと苦笑をしたそのまま。何度目だろかの“あとちょっと”を繰り返しつつ、鉢植えの場所替えを続ける彼で。きれいに整え、うなじできゅうと束ねた金の髪が、朝のうちの明るさの中、そりゃあつややかに光るのがきれい。お顔が見えるようにと、庭の方を向いてたの、わざわざ横向きになってくれて。手元の作業の5回に一度は、仔猫のほうを向いてもくれて。それでもあのね、やっぱりガラスの向こうのお外は遠いから。よいちょと後足で立っちしての、冷たいガラスに肉球はりつけ、にゃあにゃあという連呼で呼んだれば。さすがに可哀想だと思ったか、それとも丁度キリのいいところまで終わったか。濃色のワークパンツにくるんだ長い御々脚よいしょと延ばし、作業用の軍手を外しつつ、窓のほうまで戻ってくれて。さあ手を退けてと目配せしつつ、からりと大窓開けてくれる。
「にあvv」
「甘えん坊だな、久蔵は。」
 ここもまた古い作りのその証し、外とは結構な段差のある縁側もどきのお廊下へ、彼が腰を下ろすのももどかしく、そのお膝へと小さな前足ちょこりと乗せて。彼のきれいな白い手でも軽々とくるみ込めるよな、小さな毛並みのその肢体、ぴょいっと撥ねさせ、乗り上がってしまう。先程はガラス窓へと凭れたように、今度は彼の懐ろに手を掛け、後足で立つと、こちらも子供の拳ほどという小さな頭を振り仰ぎ、みぃみぃか細く鳴いてせがめば。優しい風貌の敏腕秘書殿、得も言われぬ笑顔を見せて、

 「う〜ん。勘兵衛様は今日はお帰りにはならないそうだからねぇ。」

 猫の言葉が判る七郎次じゃあないが、ここが不思議なことには…彼には人の和子に見える。しきりと書斎のほうを見やってる、そりゃあそりゃあ愛らしいお顔も、いかにもせがんでおりますというよな表情にしかめられてるものだから、

 『何処にもいないの、そこにもいないの?』

 そうと訊いてる久蔵だと通じるのだろう。そして、おチビさんが朝のうたた寝に入ったのと前後して、そちらは前から約束があったこと、出版社が寄越したハイヤーで出発してった島田先生であり。横浜のホテルで催されるレセプションへのご招待。何でも新規の作家発掘企画が持ち上がり、それへの審査委員をと依頼された関係で、ご挨拶代わりのスピーチをこなすこととなっておいで。

 『そのような表立った場に出るのは苦手なのだがな。』

 関係筋から大人げないと敬遠されてもいい、気難しいお人よと扱いかねての疎まれてもいいからと。断れるものは片っ端から断って来たのに、それでも人気が高まっての衰えぬ身、様々な企画へのお声掛かりは引きも切らずで。そのうちの幾つかへ、親しい人からの依頼じゃあ仕方がないと応じたところ、だったらばという依頼がどっと増えた。その結果として…こたびのようなスピーチや講演という、執筆とは少々畑の違うものも依頼されようという身となりつつあること、いつもいつもしょっぱそうなお顔になっていやがる御主だが、

 “…でも、いつだって盛況だし話しっぷりだって堂にいってらっしゃるのにね。”

 一旦 興が乗れば、講談師はだしという気の利いた話を、あの深みのあるいいお声で繰り広げてしまわれる勘兵衛様なので。押し出しのいい容姿も相俟っての、ご本人へのファンだって山ほどいるくらい。話題の文化人ということでと、テレビのコメンテイターやパネラーにという声も後を絶たないが、それはさすがにご遠慮させていただいており。

 「これ以上 人気が出たらば、
  実は綿入れ着てコタツで寝るのが一番好きですなんて、
  言ってられなくなるものねぇ?」
 「にあ?」

 小さな仔猫の前足取って、よいよいよいと踊らせながら。くすくす笑いも止まらぬまま、そんな言いようをする七郎次だが、

 “人前に出るのが億劫だ…なんてのは、気を遣って下さってのお言いようだよな。”

 人嫌いだなんてとんでもない、道場関係の知己が山ほどいて、今でも交流は絶やさずにおいでの勘兵衛様だし。各社の編集部員らとも、よほどにひねた相手でない限り、気の置けぬ付き合いをあっと言う間に構築してしまわれる。でしゃばりなんかじゃあないけれど、さりとて、一部でそうと把握されているような、人を選んで逢うとかどうとか、そんな偏屈な性分なんかじゃあないお人。それだのにそんな誤解を放置しておいでなのは、ひとえにこれ以上事務方の仕事を増やさせたくないのとそれから。露出が増えれば家にいる時間も激減するだろうから、それだと七郎次が寂しがらないかと、そんなところを案じておいでの御主だと。秘書殿の側でも何とはなくに気づいてる。頑張れば帰れるお出掛けなら例外なく頑張って、その日のうちに戻って来ていた。久蔵との暮らしが始まって、独りじゃあない分、前ほど寂しくはなくなったかなという雰囲気になりつつある今も、出先からの連絡は密だし、もう一端の大人をどれほどのこと過保護に守って下さってることか。

 「にあ?」

 しばし考え込んでしまっての心ここにあらずという様子になってしまった七郎次へ、小さな仔猫がお声をかけて。ハッとして見下ろせば、小さな仔猫がそれでも一丁前に、丸ぁるい頭をひょこりと傾げて見せている。特別な和子でなくとも“どうしたの?”と訊いていることは明らかで、

 「いやなんでも…。」

 心配かけてごめんねと応じつつの、うあああ、なんてまた愛らしいと、口許が萌えでほころびかけていれば世話はない。七郎次さんは思ったよりも大丈夫なようですよ、久蔵くん。
(笑) こんな小さいのに優しい心根 見せてくれてる、幼い和子のふわふかな綿毛、いい子いい子と愛おしげに撫でてやっておれば、

 「…おや。」

 何処からか気配を感じて、お顔を上げた七郎次の目に入ったのが。お隣との境目、ブロック塀の上へ、その身を少しほど縮めて座っておいでの黒い猫。鈴こそついてはないけれど、飼い猫ですとの目印か、ちりめんを細工して作ったものだろ、いかにも和風の柄が覗く赤い首輪を巻いており、

 「あ、いつものお兄さんだよ、久蔵。」
 「にぁんvv」

 お膝の上にて身をよじり、肩越しにそっちを向いた久蔵もまた、相手が誰かは把握の上か。愛らしい甘い声で一声鳴いて、そのままぴょいと飛び降りると塀までを駆ける。いつぞや降りられなくなった木蓮の、途中までを足場にし、たんと跳ねたは なかなかの身ごなし。野生の本能がそうさせるのかなと、我が子の勇姿を惚れ惚れ見やる七郎次の目の先で。あっと言う間…とはいかなんだが、それでもかなりな高さの塀へまで、登り詰めた小さな仔猫。そんな存在が寄ってゆくのを、向こうさんでも待っててくれてる辺り。随分と仲良くなってる二人
(?)と見えて。
「よかったらお家に入ってかないか?」
 陽があるとはいえ、まだ寒かろう。塀の上より暖かいよと、彼もまた立ち上がりがてらにそんなお声をかけた七郎次だが、

 『…他の猫にも通じるものかの?』
 『身振りや動作から通じるもんではありませんかね?』

 以前にも久蔵へと同様な話しかけをしたの、勘兵衛から怪訝そうなお顔をされたの思い出す。猫好きな人ならこんな風に話しかけもするだろから、構わないじゃあありませんかとそんな言いようを返したものの、

 “そうだよな。
  猫を相手に人扱いの話かけって、妙な人に見えかねないんだ。//////”

 婉曲に注意されたのかしらねと、今になって思い出していたりして。そんな七郎次からの声かけへ、

 「…。」

 やはりそのままは通じぬか。泰然とした姿も優美に、身動きひとつしない黒猫さんだったものの、

 「みゃっ!」
 「わっ、こら久蔵。」

 やっとのこと、すぐ間際まで寄った仔猫さんが、大胆にも…小さなお手々でお兄さん猫の耳を掴んでしまう。ひゃあと慌てた七郎次がよしなさいとの声をかけたが、この様子は他の人へは…小さな猫パンチがお兄さん猫の頭に触れた程度の代物で。それが証拠に、黒猫さんの方でも、

 「〜〜〜。」

 さすがに厭わしかったか、顔をしかめるように目許をつむって見せたけれど。それ以上の無体は許さず。前足をひょいと一閃しただけで外させるところがお見事で。
「にゃあ。」
 今度はこちらがあややと驚いたらしい、やや不注意にもその身を後方へとのけ反らせた小さな久蔵が、そのままバランスを崩しかけたものの、
「ああっ。」
 駆け寄りかけた七郎次よりもそこは素早く。黒猫さんの身が伸びて…お顔がかぷりと遠いはずの久蔵のうなじへ届いた。呼び寄せられての引き寄せられたようにも見えたそのまま、うなじを咬まれて押さえ付けられてた小さな和子は、正確にはそのお洋服の後ろ襟を捕まえられており。しかもしかも、

 「…あ、えと。」

 そのまま立ち上がったお兄さん猫のその動作に引っ張られ、身を起こした格好になった久蔵もろとも、塀の上から降りて来た彼でもあって。七郎次の視野の中、ちかちかと見え隠れするのは、鏡を通さずとものメインクーンの姿の久蔵。小さな小さな仔猫なればこそ、余裕で咥えられての運ばれて来た久蔵を、どうぞと差し出された七郎次。膝をつくほど姿勢を下げの、あわわと引き受けたそのまま、
「すまなかったね。やんちゃがお世話をかけちまった。」
 ついのこととて、ペコリと頭を下げている。知らない人が見たならば、いい大人が猫を相手にと笑ったかもしれない奇妙な構図だったが、



  いやぁ〜〜、なかなかにややこしい人たちですからねぇ。
(苦笑)






NEXT **


  *ちょこっと長くなりそうなので、前後篇に分けますね。


戻る